snow in the field

Yukiko Tanaka, pianist

「神の大きな愛」     2008年 夏

ニューヨークに移住した時、私の生活は暗く、寂しいものでした。誰も知り合いもいなく、仕事もありませんでした。引越しと、大学院の授業料の支払いの後で貯金もほとんどなくなっていました。そこで、生活費の為にウェイトレス、ベビーシッター、家政婦などを始めました。不慣れな仕事にとても肉体的にも精神的にも疲れ、ピアノを練習する時間も体力もありませんでした。私はニューヨークの音楽家の激しい競争から早くも脱落したかのように感じ、悲観的になっていました。「こんな事の為にニューヨークへ来たのかしら。」と少ないお金を数えながら部屋でよく泣いて過ごしました。 

その頃、ニューヨークのマンハッタンにある日米合同教会へ通い始めました。日本人の友達が欲しかったのと、他にやる事が無かったからです。この教会の事は、私がその前年に、ミシガンの大学から研修生としてニューヨークに来ていた時、感謝祭の夕食会のチラシを見て知りました。ミシガンでは毎週カソリックの教会のミサで、クリスチャンで無いのにも拘らずピアノを弾いていたので、教会に通う事にはまったく抵抗も、特別な思いもありませんでした。しかし、この時はすべてが違いました。アルバイトのピアノ学生ではなく、会衆の一人として礼拝に出るようになったので、福音が心に届くようになったのです。ある日、部屋でデボーションガイドを読んでいると、ある文章が目に飛び込みました。「神様はあなたの心配も必要もご存知です。」その瞬間、体が熱くなり、涙が溢れ出てきました。そして、誰かが私の後ろに立ち、背中を優しくなでてくれたのを感じました。私はそれがイエス様だと分かりました。 

私は、幸せになろうとして、どんどん神様から離れてしまっていた事に気がつきました。聖書によれば、一番の罪は神を神と思わず人生を過ごす事です。私は神様に泣いて謝りました。もう一度、幼子のように神様の元へ帰りたい、と思ったのです。数ヵ月後、2003年の1月、教会の皆様のお祈りに支えられて、ネイサン・ブラウネル牧師より洗礼を受けました。「苦しみに会った事は幸いです。それによって私はあなたの掟を学びました。(詩篇119章71節) 

それから私の生活が劇的に変わったとは言いません。しかし、神様は私の内面を変えてくださいました。洗礼以来、私の心は神様への信頼と平安で満ちるように成りました。困難な状況も、神様が私に最善以下の事を下さるはずが無い、と信じ、乗り越える事ができました。神様が私にくれた計画だ、と思えばこそ謙遜になり、嫌な状況や苦難を受け入れる事ができました。実際に、そういった苦しい時は私がさらに成長するために必要だった、と言う事が後になって分かる事が何度もありました。「神のなさる事はその時に叶ってみな美しい。(伝道の書3章11節)」 

クリスチャンになる前は、上手になりたい、競争に勝ちたい、と言う思いでピアノを一生懸命練習していました。しかしそれはほとんど重荷でした。ピアノは好きでしたが、いつも先生や、他の音楽家の前で間違える事を恐れていました。いつも心の中に、自分への失望感と、他人への嫉妬が渦巻いていました。 

クリスチャンになった後、神様の為にピアノを弾く、と言う思いが与えられました。ピアノを弾く事が神様を賛美する事なのです、と。神様は私達に得意な事を下さったのは、それを私達が使って、神様に栄光をお返しするためなのです。しかし、私は実際自分で、具体的にどうしていいか分からずに居ました。 

迷いながら5年余り経ちました。ある日曜日、ニューヨークのリディーマー教会のティム・ケラー牧師の説教を聞いている時、とても重要な事に気がつきました。神様は私がピアノを弾こうが弾くまいが、努力しようがしまいが、立派な人であろうと無かろうと、私のことを愛してくださっている、と言う事です。誰も、努力によって神の愛を得られる程、立派な人は居ません。ひとり子、イエス様を通してのみ、私達は神様に近づけるのです。そして、神様は私達を既に愛してくださっているのです。だから救い主としてイエス様をこの世に贈ってくださったのです。その瞬間、私の立場は雇われ人から、真の子供へと変わりました。というのは、子供は良い子か悪い子かではなく、ただその存在のみで親から愛されますが、雇われ人は働きぶりや態度で評価されるからなのです。その時から、私は真の神様の子供としての幸せをかみしめられるようになりました。 

神様は私が立派でなくても、上手なピアニストでなくても、変わらずに愛してくださっています。それならこれ以上努力をする必要が無いのでしょうか?いいえ、違います。神様は私のことを愛してくださっています、だからこそ、私は頑張ろう、と思えるようになるのです。逆説的に聞こえますが、私は神様に感謝しているからこそ、ピアノを弾き、神様の栄光の為に音楽を用いる事ができるのです。神の愛は人を変えます。この大きな愛を、人は無視する事ができないのです。 

今は、私は神様に気に入ってもらいたいからピアノを弾くのではなく、感謝を表したいと言う自然な思いの結果としてピアノを弾けるようになりました。そして、私のような小さな者に、このような役割が与えられている事、神の国に連なれる事を本当に感謝しています。

「さて、御霊の賜物にはいろいろの種類がありますが、御霊は同じ御霊です。奉仕にはいろいろの種類がありますが、主は同じ主です。働きにはいろいろの種類がありますが、神はすべての人の中ですべての働きをなさる同じ神です。(第一コリント 12章4節から6節)」

すべての栄光を神様にお返しします。アーメン。